自他ともに認める、飽き性である。小さい頃に三日坊主という言葉を知って、自分を指差して言われているような気がして心地が悪かったのを覚えている。その言葉を覚えてから、意地でも1ヶ月は続けるようになったが、その間に誰かに褒めてもらえないと、取り掛かる時に命を捧げるばかりに強く燃えていた炎は、ある朝気づくと白い煙を出して消えそうになっている。
だから、私がコピーライターやスパイス料理、器の販売を続けているというのは、どう考えても辻褄の合わない話なのだが、色々な仕事を並行しながらこなして行くという方法は、実は飽きっぽい自分を飽きさせないための自分自身が編み出した悪知恵なのだと思う。コピーの仕事をしながら料理を考えて、料理をしながら器を考える、よそ見をしながら働くのは、発想が分散されたり繋がったりして、気が紛れて楽しいのである。
そんな自分がたった1ヶ月で語るのも厚かましい話だが、ヒンディー語を習得していて楽しいと思う毎日が続いている。6歳くらいから英語を学びはじめ、18歳からフランス語に出会い、もう新しい言語を学ぶことはないだろう、と思っていた。でも大人になって、新しい言語を習得することの面白さを痛感している。大人になって、というのが割と重要なのではないかと思う。
インドに行くと分かるのだが、イギリスの元植民地ということもあり、ほとんどの人が英語を流暢に話せる。しかもインドには指定言語が22語もあるので、南インドのケララに行っても、北部のヒマチャルに行っても、ヒンディー語は全く通じない。しかもこれからの時代、AIが発達し、私たちが四苦八苦して現地の言葉を覚えなくてもきっとロボットたちが代わりにスムーズなコミュニケーションを図ってくれるに違いない。よく考えたら、ヒンディー語なんて学ぶ必要は全くないのである。
それでも、なぜ新しい言語を覚えるというのは、こんなにも興奮することなのだろう?
子どもの頃に、ひらがなを覚えたりカタカナを覚えたりして、どんどん自分の語彙や表現力が拡大していくが、そういう体験はほとんど記憶に残っていない。意識しないうちに知っている言葉が新しい言葉を結びつけ、蜘蛛の巣のように、言語体系は宇宙の惑星のようにどんどん広がっていく。大人が新しい言語を習得するということは、それを意識しながら体験できるということだ。
ヒンディー語の「デーヴァナーガリー文字」という理解不能な「記号」。その「記号」に、ある日突然「意味」が炙り出されてくる興奮は、もしかしたら、楔形文字や象形文字を紐解く楽しさに似ているかも、と思ったりもする。文字を学んでいくうちに、文字を書く上でのルールやロジックが明らかにされていく。ヒンディー語の背景にあるインド、アーリヤ人、その向こうのペルシャ人、ヨーロッパ人の途方もなく長い歴史、言語体系の道程を自分も一緒に遡っていくような楽しさがあり、以前学んでいたフランス語に似た発音が突如出現したりもする。言語を学ぶことは、言語を発掘していくという考古学なのかもしれないと勝手に解釈したりもしている。
もうひとつ、新しい言語を学んで感じるのは「日本語というのは、奇跡的な言語なんだ」ということだ。日本語という言葉を使っている人たちが、中国から伝来された漢字に出会い、元々の表語文字としてだけでなく、自分たちの使っている言葉の音に当てはめて、表音文字(音読み)としても使いはじめた。万葉仮名である。そしてその伝来した漢字の日本語訳も重ね合わせた(訓読み)。それを崩しはじめてひらがな、が生まれ、同じ時期に経典を訳す僧侶の間で、万葉仮名を略してカタカナが生まれた。そのどれもが、廃れることなく存続していて、実際に今も使われている。よく日本人が「いやあ、私は日本語以外には言葉は喋れなくて」と謙遜して言うが、正直日本語をしっかり理解し話せることは果てしなく労力のいることであり、誇りに思って良いことなのではないだろうか。
日本語しか話せない人が、フランス語のイメージを思い浮かべてフランス語を真似たり、ロシア語のイメージを思い浮かべてロシア語を真似たりはできるけれど、日本語のイメージを思い浮かべて、日本語を真似ることはできない。なぜなら、もう言葉を知っていて身についてしまっているからだ。だから、日本語の持っている言葉の響きや感触、というものを客観的に形容することができない。
今回、ヒンディー語を学んでみて外部から日本語を眺めると、その美しさにハッとさせられる。今も漢字の中に残る象形文字は、誰もがなぞることのできる芸術であるし、ひらがなのように、川の水が上流から下流へ流れ落ち、その水面の上を雲雀が足を滑らせているような言語も他にない。
ここまで書いていて、1ヶ月でヒンディー語を学ぶのを辞めては、周りから槍で刺されるような気がする。楽しく学んで、いつかデリーの商店街のサリーショップで店のおじさんにヒンディー語で値切ってみたい気もする。もう少し踏ん張ってみようか。
だから、私がコピーライターやスパイス料理、器の販売を続けているというのは、どう考えても辻褄の合わない話なのだが、色々な仕事を並行しながらこなして行くという方法は、実は飽きっぽい自分を飽きさせないための自分自身が編み出した悪知恵なのだと思う。コピーの仕事をしながら料理を考えて、料理をしながら器を考える、よそ見をしながら働くのは、発想が分散されたり繋がったりして、気が紛れて楽しいのである。
そんな自分がたった1ヶ月で語るのも厚かましい話だが、ヒンディー語を習得していて楽しいと思う毎日が続いている。6歳くらいから英語を学びはじめ、18歳からフランス語に出会い、もう新しい言語を学ぶことはないだろう、と思っていた。でも大人になって、新しい言語を習得することの面白さを痛感している。大人になって、というのが割と重要なのではないかと思う。
インドに行くと分かるのだが、イギリスの元植民地ということもあり、ほとんどの人が英語を流暢に話せる。しかもインドには指定言語が22語もあるので、南インドのケララに行っても、北部のヒマチャルに行っても、ヒンディー語は全く通じない。しかもこれからの時代、AIが発達し、私たちが四苦八苦して現地の言葉を覚えなくてもきっとロボットたちが代わりにスムーズなコミュニケーションを図ってくれるに違いない。よく考えたら、ヒンディー語なんて学ぶ必要は全くないのである。
それでも、なぜ新しい言語を覚えるというのは、こんなにも興奮することなのだろう?
子どもの頃に、ひらがなを覚えたりカタカナを覚えたりして、どんどん自分の語彙や表現力が拡大していくが、そういう体験はほとんど記憶に残っていない。意識しないうちに知っている言葉が新しい言葉を結びつけ、蜘蛛の巣のように、言語体系は宇宙の惑星のようにどんどん広がっていく。大人が新しい言語を習得するということは、それを意識しながら体験できるということだ。
ヒンディー語の「デーヴァナーガリー文字」という理解不能な「記号」。その「記号」に、ある日突然「意味」が炙り出されてくる興奮は、もしかしたら、楔形文字や象形文字を紐解く楽しさに似ているかも、と思ったりもする。文字を学んでいくうちに、文字を書く上でのルールやロジックが明らかにされていく。ヒンディー語の背景にあるインド、アーリヤ人、その向こうのペルシャ人、ヨーロッパ人の途方もなく長い歴史、言語体系の道程を自分も一緒に遡っていくような楽しさがあり、以前学んでいたフランス語に似た発音が突如出現したりもする。言語を学ぶことは、言語を発掘していくという考古学なのかもしれないと勝手に解釈したりもしている。
もうひとつ、新しい言語を学んで感じるのは「日本語というのは、奇跡的な言語なんだ」ということだ。日本語という言葉を使っている人たちが、中国から伝来された漢字に出会い、元々の表語文字としてだけでなく、自分たちの使っている言葉の音に当てはめて、表音文字(音読み)としても使いはじめた。万葉仮名である。そしてその伝来した漢字の日本語訳も重ね合わせた(訓読み)。それを崩しはじめてひらがな、が生まれ、同じ時期に経典を訳す僧侶の間で、万葉仮名を略してカタカナが生まれた。そのどれもが、廃れることなく存続していて、実際に今も使われている。よく日本人が「いやあ、私は日本語以外には言葉は喋れなくて」と謙遜して言うが、正直日本語をしっかり理解し話せることは果てしなく労力のいることであり、誇りに思って良いことなのではないだろうか。
日本語しか話せない人が、フランス語のイメージを思い浮かべてフランス語を真似たり、ロシア語のイメージを思い浮かべてロシア語を真似たりはできるけれど、日本語のイメージを思い浮かべて、日本語を真似ることはできない。なぜなら、もう言葉を知っていて身についてしまっているからだ。だから、日本語の持っている言葉の響きや感触、というものを客観的に形容することができない。
今回、ヒンディー語を学んでみて外部から日本語を眺めると、その美しさにハッとさせられる。今も漢字の中に残る象形文字は、誰もがなぞることのできる芸術であるし、ひらがなのように、川の水が上流から下流へ流れ落ち、その水面の上を雲雀が足を滑らせているような言語も他にない。
ここまで書いていて、1ヶ月でヒンディー語を学ぶのを辞めては、周りから槍で刺されるような気がする。楽しく学んで、いつかデリーの商店街のサリーショップで店のおじさんにヒンディー語で値切ってみたい気もする。もう少し踏ん張ってみようか。