「馳走」を知る旅 唐津 Vol.1「文祥窯と隆太窯」
The place of "Chiso (omotenashi) " -Karatsu, Saga vol.1

(2020.08.09)
娘が生まれて、日々の子育てに追われ、仕事に長いブランクが空いた時、辛い気持ちを励ましてくれたのが、料理であり器でした。母になると、自分のご飯をゆっくり味わう暇もなく、たいてい10分ほどで済ませてしまうのですが、たまに友達や家族が来ると、なんとか時間を作って、手料理を作ります。「あの人は、蛸が好きだったな。」とか「寒いから、鍋にしよう。」とか、いろんなことを想像して、来る人を喜ばせたくなります。その時間は、子育て中の私にとって、唯一の社会との接点であり、手間はかかるけれど、掛け替えのないcreationの時間でした。そこから、私の器と料理を学ぶ旅が始まりました。


2020年夏。ずっと行きたかった、佐賀県唐津を訪問するご縁をいただきました。母方の先祖が唐津出身であり、お茶事をしていたため、小さい頃から蔵にしまわれていた、唐津焼をぼうっと眺めては、思いを巡らせていた唐津。
子育ての間、導かれるように器が好きになり、料理に没頭しはじめ、PETALを立ち上げることになった時、偶然相談した友人に「唐津なら、ご紹介できるかもしれない」と言っていただき、「唐津だからこそ、行きたいです」という話になり、本当に唐津の窯元、作家さんにお会いできることになったのです。
それだけではなく、ご縁がご縁を呼び、佐賀の離島でハーブや草花の栽培、商品開発を行っている方、佐賀を知り尽くし、器作家さんとも懇意されている方が、週末にもかかわらず、現地を案内してくださることになりました。

博多から唐津へ向かう普通列車に腰掛けて、虹の松原を通り過ぎ、薄い藍色の唐津の海岸が見えた時、なんとも懐かしい気持ちになりました。松の枝の重なりが、遠い記憶の中の絵唐津を思い出したからかもしれません。

訪れる人にとっては可愛らしい目印となる、文祥窯の煙突

暑い中、熱心に説明してくださった馬場光二郎さん

最初に伺ったのは、文祥窯の馬場光二郎さん。唐津から少し車を走らせた伊万里の高台に入ると、可愛らしい煉瓦の煙突がぽつぽつと見えてきます。馬場さんは、現代において伊万里焼の原料のほとんどが熊本天草から供給されていることに疑問をもち、自分が暮らす土地、古伊万里を作る際に使われていた、泉山の陶石で器を作られています。
江戸時代に始まった「型打ち」と呼ばれる、大変手間のかかる成形方法を用いており、唐草などのモチーフ(陽刻文様)を彫った素焼きの型の上に粘土を貼り付けて、手で打ちながら成形していきます。


黒点や色ムラがまた個の美となる、型打ち皿

「江戸時代は、真っ白に近い磁器が良いものとされ、黒点などがあると不純物が混じっていると言われていましたが、そもそも不純物ってなんだ?と思ったんです。」と話す馬場さん。あえて鉄粉を残し、純白ではなくとも、伊万里の土地で採れた陶石を選ぶ、既成概念を疑い、自問自答から生まれた器は、他にない確固たる個性となり、見る人を魅了するのだと思います。奇しくも今、「多様性」や「自分らしさ」が問われている世の中で、馬場さんの器への姿勢、哲学が、ひときわ人の心に響くのではないでしょうか。

その景観は唐津随一といわれる、隆太窯

そのあと訪問させて頂いたのは、中里隆さん、息子の太亀さん、孫の健太さんの窯である隆太窯。隆太窯の敷地内にお邪魔すると、美しい山間に建てられた木造の工房や資料館がまるで、一つの村の中のように点在しています。それぞれの建物の間を流れる川も、意図的に作られた景観であることを、後に隆さんのお弟子さんであった土屋由起子さんに教えていただきました。

インド料理がお好きだという健太さんとおしゃべり

その日は大変珍しく、3世代が揃って轆轤を回していらっしゃる日で、太亀さんの奥様に「3人揃うのは、久しぶりですよ。」と仰っていただきました。山からの風がふわりと入る工房で、黙々と制作に励む太亀さんと健太さん。その横で道具を整理する隆さん。それを静かに眺めていると、ずっと憧れていた光景が目の前に広がっているということが、にわかに信じられなくなるほどでした。
自己紹介し、鎌倉山から来たことを伝えると、隆さんが「鎌倉山かあ。昔、鎌倉山でお酒を飲みすぎて、隣の家に泊まっていた車のボンネットの上で寝たことがあったなあ。」と笑いながら教えてくださったことを、おそらく一生忘れないだろうと思います。

資料館で、心ゆくまで器を拝見し、クラシックな絵唐津の茶碗から、アンダーソンランチで作られたソウルフルなアイアンレッドのマグカップまで、自由、変幻自在でありながら、使う人を育ててくれる、大木のような存在感に圧倒され、器に憑依した生きるエネルギーを分けてもらった気持ちになりました。

3世代の作品が揃うギャラリー

「ご馳走」という言葉があります。兄が教えてくれたのですが、「ご馳走」の由来は、人をもてなすために走り回り、奔走するところから、名付けられたのだそうです。佐賀を訪れ、その言葉を体現しているような街だなあ、と感じました。

一見で何者かも分からない私に、心を尽くして案内してくださった方々、訪問を受け入れてくださった窯元の皆さん、唐津の食材、魅力を紹介してくださった唐津に暮らす方々、どのように恩返ししていくのかは、私の大きな宿題であり、楽しみなミッションでもあります。

(Vol.2に続きます)