馳走を知る旅、唐津 Vol.3 「健太郎窯、唐津を想う」
The city of Chiso (Omotenashi) Karatsu Vol3. (Kentaro Gama )

(2020.09.03)
由起子窯さんを後にして、最後に訪問させていただいたのは、虹の松原の絶景を見下ろす丘の上に立つ、村山健太郎さんの「健太郎窯」。午前中には猛暑の中、土を採取されていたにもかかわらず、私たちを快くもてなしていただきました。陶房の横がお茶室になっており、虹の松原の淡い藍色の海と松の深緑の景色に溶け込むように、健太郎さんの作品が並んでいました。

虹の松原の絶景を臨む茶室

古唐津の器がベースにありながらも、土の採取、粘土作りを自分で行い、釉薬もまた自分で作るという、非常に研究熱心な健太郎さん。どんなことを考えながら作陶されていらっしゃるのかと伺うと「いろいろなことを考えて、土を選んだ時点で個性は出来上がっていると思うんです。シンプルで、ずっと使っていると愛着が湧いてくる、それくらいが丁度いいんじゃないですか。」とお話ししてくださいました。

健太郎さんの陶房にて


彼の器を手にとった時、私がふと感じたのは「一流の鮨職人と何か通じるものがある」ということでした。非常に高名な鮨職人さんに、魚という素材と自分の仕事(仕込み)どれくらいの割合を心がけているのか、と質問したところ「素材が8、仕事が2」と教えて頂いたことがあります。味付け、煮る、漬ける、相当な仕事をしていると思っていたので、仕込みが2というのにとても驚いた記憶があるのですが、村山さんの器もまた、素材である土や鉱物の特性や良いところを、華美に演出することなく、ありのままに、繊細に引き出されていると感じたのです。それは、鮨職人とも重なる、自然への畏敬、謙虚さから生まれる佇まいなのかもしれません。

作陶に使われる、様々な材質、色をした砂岩

蛇足ですが、陶房で村山さんと今回案内してくださった方々と、長く立ち話をしたのですが、その立ち話が本当に楽しかったのです。今、蓋付の瓶を作っていて、梅干しや発酵食を入れたらいいんじゃないか、とか、その蓋をどうするか、という話や、その瓶が完成した暁には、是非送って欲しいとお願いしたり。最後にはご友人であるEN TEAの白茶を頂いて、その美味しさに感動したり。今度はバルコニーで晩酌しましょう、とお誘いをいただき、社交辞令とは全く思わずに、本気でそうしましょう、と思っているくらいの厚かましさです。きっと健太郎さんは、相当な食いしん坊に違いない、と勝手に想像をしておりました。

夕方の5時頃。洋々閣を訪ね、隆太窯や中里花子さんの器を堪能した後、小さな駅の小さな改札口を入って、案内してくださった方々へ手を振り別れを告げました。夢か現か判らぬほど眩い2日間が終わろうとしていました。

コロナウィルスが私たちのライフスタイルをドラスティックに変えたことは一つのきっかけで、改めて「都市と地方」という一昔前のカテゴライズは、これから急速に変化を見せていくような気がしてなりません。東京という都市はまだまだ、地方のためにできることが山のようにあると思うのです。私は広告代理店にいた人間なので感じることですが、代理店やコンサルタントは短絡的な計画で地方のお役所の予算ばかりを搾取するのではなく、継続的(サスティナブル)な、価値創造のパートナー、国内外に向けてスピーディーに、かつ文化的、歴史的なコンテキストを深く理解した上で価値発信し続けるPRオフィスでなければなりません。自分が担う役割、またできるであろうことの可能性の発見に、雲間から光が見えたような旅でもありました。これから、唐津で「暮らしの中の美」を紡ぎ続けている方々との、願わくば長い長いお付き合いが始まることは、心からの喜びです。